市街地編とは言ったものの正確には鞍馬以外ってことです。
それでは続きからどうぞ〜
前回の鞍馬編で貴船神社の写真を貼り忘れてましたm(_ _)mスイマセン
鞍馬編に貼りましたのでぜひご覧ください。
鞍馬編はこちらから。
まずは、弁慶が腰掛けていたとか、持ち上げたとかいろんな伝説がある「弁慶石」。
この石はもともと、奥州高館のあたりにあったそうですがこの石が突然「三条京極に行きたい!!」と鳴動し、その上奥州高館で熱病が流行り出したため今のこの場所へ移したとのことです。
石、怖い((((;゚Д゚)))))))
弁慶石付近の三条通り
夜ver.
おじゃる警部こと綾小路警部と出会った場所
次に六角堂へ。
元太が座っていた場所
平次が座った場所
京都の中心、へそ石。
「その昔、六角堂のある場所に道を作らないといけなくなり、そこで天皇の勅使が「できれば南北どちらかへお動き下さい」と祈ったところ、六角堂は自ずから北に動きだしたという。
しかし、へそ石だけはこの場から動かなかった」という伝説があります。
奥の池にはオオハクチョウがいます。
昔は抜けた羽がもらえましたが、今は無理です。
隣のビルの展望エレベータから見下ろすと六角形になってます。
だから六角堂と言うらしいです。
六角堂からコナンたちが歩いたと思われる道を進み佛光寺へ。
烏丸通り
四条烏丸
佛光寺
当然、玉龍寺の碑はありません。
五条大橋へ向かいます。
コナンくんは後ろに飛んでこいつに飛び乗りましたが、飛び乗れるような高さではありません。
そして五条天神へ。
ご存知でしょうが義経記では牛若丸(義経の幼名)と弁慶はここで会ったことになってます。
最後に一条戻橋へ。
哀ちゃんが読んでいた看板にはこう書かれています。
戻橋
延喜十八年(九一八)、文章[もんじょう]博士・三善清行[みよしきよつら]が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。 浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交わしたという伝説から戻橋と名付けたという。 太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱[わたなべのつな]が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢ったというでんせつもあるところである。
京都市
これを読んで哀ちゃんはクスリと笑ったのかぁ。
〜市街地編①〜はここまで。
②もお楽しみに!
〜おまけ〜
本能寺跡
信長はここで明智光秀に討たれました。
しかし、いくら探しても信長の骸は出なかったと言います。
ちょうど、大河でやってたのでね。
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